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blue bag.
blue moon.

大きいキャンバスに描いているのですが、その一部をクローズアップ。
顔とかはデジタル加筆、実物はまだ綺麗なままです。
どうしようかと迷いながら輪郭を置いたので、何とも、微妙な感じ。
ここからどう発展させようか。
いっそもう一度塗りつぶしてやり直した方が良いのかも。
だとしても、とりあえずはこれで描いてみようか。
そういうことに、しましょう。
ともかく、明日から。
今日はもう、眠い眠い。
white & blue
秘密箱
はなぢ
この頃鼻血がよく出る。
今朝は鼻血が詰まって、口から鼻からごふごふと血を吐きながら目覚めた。
最悪である。
今朝は鼻血が詰まって、口から鼻からごふごふと血を吐きながら目覚めた。
最悪である。
これはこれは
1日の深夜あたりから、どうにも調子が悪い。
ずっと寝ていて、たまに起きても一切制作もしていない。
意欲というものが、完全に消えてしまったようだ。
そっちのことはもう、どうでもいい感じ。
人の話を憶えない人とはうまくやれない。
話した事柄は一切、空に消え、意味を失う。
忘れた人間は目の前にある事柄を自分の先入観だけで物語り、つまらない文句を連ねるばかりだ。
それに大した意味はない。
「客観的に」とか「常識的に」とかいう人たちの多くは、問題に絡んだ複雑な条件を無視したいだけであり、その複雑な条件とは大抵重要なものである。
するとその後に続く言葉に大した意味はない。
最近似たような閉塞的思考と対話していたので、そんなことを思う。
邪魔ばかりされる。
ずっと寝ていて、たまに起きても一切制作もしていない。
意欲というものが、完全に消えてしまったようだ。
そっちのことはもう、どうでもいい感じ。
人の話を憶えない人とはうまくやれない。
話した事柄は一切、空に消え、意味を失う。
忘れた人間は目の前にある事柄を自分の先入観だけで物語り、つまらない文句を連ねるばかりだ。
それに大した意味はない。
「客観的に」とか「常識的に」とかいう人たちの多くは、問題に絡んだ複雑な条件を無視したいだけであり、その複雑な条件とは大抵重要なものである。
するとその後に続く言葉に大した意味はない。
最近似たような閉塞的思考と対話していたので、そんなことを思う。
邪魔ばかりされる。
Coming-out Attack!!

という本を、図書館で借りてきて読んでいます。
カミングアウト、ということで僕にもカミングアウトすべき事柄が色々ありますが、一番恥ずかしい、内緒にしておきたいことといえば、あれかな。
『芸術を嗜んでいる』、ということかな。
実に恥ずかしい。
げーじゅつって…なに、それ。まったくもってはずかしい!
加えて、未だ「これが芸術だ!」とも言えないレベルであることにも、引け目を感じずにはいられない。
告白すべきことは、大抵最初に言うのだけれど、「芸術してます!」っていうのは、結構内緒にしていることが多い。
しかし内緒にしているからか、それとも僕の成分の中で一番多いのか、すぐにばれてしまう。
どこからか流れてしまう。
他の、カミングアウトする必要のありそうなもの、つまり主流じゃないらしいことは、大抵、出会ってから早い時期に、その人には伝えてます。
言うと、たまに「そういうことって、みんなに言ってるの?」と聞かれます。
別に内緒のことじゃないので、みんなに言ってますよ、と。
大体の人にとっては、結構重大なことがいくつかあるみたいです。
でもそれを言わないと、つじつまが合わなくなったり理解しにくいことになるので、先に言っておいた方がフェアかな、と。
しかしそんなことより、アートの真似事をしていることの方が恥ずかしいので、それを知られてしまえば、他の事なんて些細なことだろう、と、僕は思っているのですが。
ともあれ、人に秘密の事や弱みを打ち明けることは、大変な騒ぎであります。
特に関係が壊れてはいけない人に言うことは、恐怖。得てして、それだけ大切な人な訳だから、言わないでおくということも難しい。
何とも、業の深いことです。
僕は相手の人間性を測るためのテストとしても、このカミングアウトという行為を用いる。
こういうイレギュラーな状態になりましたがあなたはどうしますか、って。
時代の進歩か、最近はもう理解のある人が増えてきて、それはいいんですが。どうにも、道徳の時間みたいな臭いがするんです。
「私は理解者よ、安心してね」って言いながら、言葉の端やスタンスに、ネガティブな感情を示してきたり。
本人は無自覚なので、指摘しても否定しますが。
仮面を被ることに慣れてしまうと、仮面をつけてるかどうかもわからなくなってしまう。
そのように、今、思考してることが、話してる意見が、果たして心の底からのものなのか否か、今一度、よく考えてみてほしいものです。
ネガティブな意見を持ってる人にはこちらも相応のスタンスでいられるのでいいんですけど、表面上は取り繕っていて潜在的にネガティブなものを感じてる人は、面倒くさい。
本人が気付いていないともうそれは針のむしろ。トゲトゲブランケット。
「私はあなたの味方よ!」なんて言いながら、ナイフでぐさぐさ刺してくる、みたいな。
そういうの、いりませんから。
これ、大豆ですから。
忌々しい。
そういえば、今日は誕生日です。
引き払ったアパートのことでイチャモンがつきました。
いくらなんでも、羽アリは僕のせいじゃないです。
勘弁して。
失敗作

なんか、変なので、失敗。
キャンバス地とか、布とかに線を引く時、よくつっかかる。
絵の具、というか、水分が染みやすいためか、すぐに色がかすれてしまう。
するとなかなか、なめらに、円滑に線を結べない。
何なら良いかと言えば、やはり、ダンボール、紙袋あたりか。
ともあれ、布地に描いているとしばしば、問われているような気持ちになる。
上手く絵の具が乗らない度に、問い詰められる。
この絵を描く意味は、どうしたいのか、描きたいのは本当にこれか、筆圧は正しいのか、線の太さは、これは一体何か……などと、とどまるところを知らず、ぶわぶわとあふれて、埒も無い。
否定されては、たまらない。
先行き不安。
ところで、黄色の話。
黄色は幸せを呼ぶ色。
と言うか、幸せを求める色である。
黄色いハンカチ、風水でも幸運を運ぶ色であったり、人々は黄色に願いを込める。
希望と可能性。
それを欲するは即ち、欲求に満ち満ちているということ。
不足感。渇望。
ゴッホの絵を、象徴する色でもある。
この頃、黄色もよく使う。
青と、黄色と、色相としては対象だが、その二つで、僕もまた、バランスを取っているのだろうか。