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ぱんだ日和

お父ちゃんがおもむろに、「○○さんから。渡せばわかるって言ってた」といって、知り合いの個展のDMをくれました。

あの子が個展やるのは知ってたけど、何で○○さんとかいう人がわざわざ、というか○○さん誰よ。と思いながらDMを眺めていたら、○○さんの名前が。

○○さんの正体は、こないだ結婚して苗字の変わった、当の知り合い、その人でした。

そんな、ぱん吉先生の初個展のお知らせです。

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グループ展の時から目立ってて良い感じだったので、どんな感じで展示されるのか見に行こうと思います。


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無題

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ぬーん。

カリスマブレイクした神様と一緒に、手をつないで踊ろう。

僕らはスーパーベストフレンド。

God bless you.





このシリーズ好き。

MULTI LANGUAGE



あんまりなじみのない言葉だから、かっこよく聞こえるけど、格好良く、それなりに、聞こえるけど、この調子でボソボソ日本語で話されたら、多分ぞっとする。となるとこれは、ぞっとするものなのだろうか、本来。だったらこんな公開されるべきものではないはずだ。が、これはこうして公開されてるので、おそらくぞっとしないものなのだろうと思う。知らない言葉はかっこよく聞こえる。でも知ってる人からしたら? 客観性を失ってはいけない。いつでも。

こんなことを書いて、いつも思う、僕の様子も何も、どんな調子で書いてるか知らない人が、これを覗いて、どんな印象を受けるか。ぱっとページが表示された時のバランスはどうか、その人が一日、楽しかったり、ところどころ嫌な思いをして、暮らしてきた中で、たまたまちょっとこのページも表示されちゃったりして、それも、今これノートPCから書き込んでるけど、デスクトップですごいうるさいファンを回しながら見るのかもしれないし、あるいはMacのオシャレなSafariから、ちょっと型崩れしたデザインで見てるかもしれない。どんな感じで、どんな調子で、お腹を空かしながら、それとも満腹で? お風呂に入る前? それとも3日間くらい入らないで? 着てる服はタイトなものか、ゆったりしてるか。
全くわからないけど、知る由もないけど、見てくれる人の生活に、何にも知らない僕が勝手に書いたものが、無理やりつっこまれる訳で、そうしたら、できるだけ、ちゃんとしたものを書かないといけない。誰が見ても悲しい思いをしないように。
そうしてつきつめていくと、頭が痛くなる。痛くなって、全員死ねとまではいかないけど、痛くする空想上のみんなを一掃して、タンスの奥にしまいこむ。
で、勝手に書いたものを、平然とアップするわけだ。

結局いつも通り。

うーん。

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東京から帰ってきて、意欲が減退気味。
向こうにいる間は俄然やる気だったんだけど、やっぱり、田舎は人間の情念を奪うのだろうか。
こことの相性が悪いのは、ある。それがあれなのか。どうしたって気に入らないことを認めざるをえない。ダメージ床でできた宿屋みたいな。

撮ってきた写真をようやくPCに取り込んでみたりしてるけど、あんまりうまく撮れてなかった。
メモ用みたいな感じで撮ってたし、しょうがない。

そんなわけで、ぷちぷちと、iPhoneで写真を撮って、遊んでます。

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連写できるカメラアプリで撮ったもの。
面白い感じで撮れるから結構いいです。

queer as folkっていうドラマを見始めたんだけど、主人公のビッチ化にいらいらする。

小旅行の末に

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先週末、東京の方へ行ってきました。

お台場は風が強かったです。

で、色々見てきました。

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飾られたものだけ見てると、ばっちり完成品!っていうものが当然の世界になっちゃうけど、それを作る未完成の過程というのも当然あって、しかも始まりはいつも真っ白な画面から始まるわけで、そこから、神様でもなく、人の手で、作り上げていくものなわけで、それがいずれ何やらすごいものになっていくわけで。
その最初の一画目を始める権利は、誰にもあるわけで。そこから続いていく線の先には、神様の形が待ってるわけで。
そんなことを、たくさんのライブペイントや荒々しいむき出しの作品を見ながら、思いました。

神様はいないのだと思った。

僕も神様なのだと思った。


のびやかなるものを。
こう、はい。

変/格好良い



このちょっと足らない感じの会話のやり取りがすごい良い。

不細工≒かわいいと同じようなもので、変とカッコイイも似たり寄ったり、大体一緒だと思う。

所でそう、なんと言いますか、子供の頃は好き勝手に夢を上げ連ねますが当然みんながみんなそれについて当時から真剣に考え取り組んでいるわけではなく、なんとなくメディアやら親やらなんやらを見て、憧れたりそこに光を見出して崇拝するにとどまることでしょう。

あ、なんかちょっとずれたので補正。
結局、どーよ。中学なり高校を卒業してしばらくたちますが、みなさん、当時の目標なり夢には到達しましたか。立派なサクセスストーリーを歩まれましたか。もはや過去形で。結果、でてます?的な。で、そーんなにかなった、十分である、という人は、まだ、もしくは永遠に、いないんじゃないかと思います。たぶん。
別に誰も悪いことしてないけど、なんとなく勝手に時間が流れて年をとって、流行の大卒で新卒で氷河期後の売り手市場買い手市場大不況大恐慌給付金ばら撒き地域振興券ぶっちふぉんライオンハートサムライハートと、勝手になんかやってる世の中と暮らしつつ、今まさに現在進行形、等身大の自分をこの、今!今!そう、今!ちがう、今だ!それ!あちょっとずれた、今!まーいいや、その一瞬。大体そのくらいでいいです。とにかく線じゃなくて点レベルで、の、あなたが、僕らが、いるわけです。はい。
どうも、いまいち。もう一歩!って感じなんじゃないかなと、思う。違う人はごめん。あなたを無視して話は進められていきます。
僕もそんな口で。なんか、いまいちです。もうちょっとこう、あれ、僕だったら、うまくやってるというか、楽しめるんじゃないの、こんな感じでも、という感じなんだけど、どうかな、そんなに、充足感はないというか、まあ、これでもいいですけどー、くらいの、不満顔。

けど、じゃあ、昔の夢ってなんだっけ、ってさかのぼって考えてみると、別になんか、当然の流れというかなんというか。ちなみに今時の子はなんかサッカー選手とかヴォーカリストとからしいです。詳しくはwebで。
保育園くらいの時は、たまに遊びに来る母親の友達、何をしてるかわからない人たちが大人の見本で、なるほど僕もこうなっていくのか、と疑う余地もなく信じていて、言うなれば、よくみんなで一緒にどこかに旅行に行っていたので、旅人。
どこの施設かわからないけど、洞窟温泉みたいのに連れてってもらった時の感動は今でも覚えてる。たぶん今見るとしょぼーってなるのかもしれないけど、記憶のなかでは、まんま洞窟なんだけど、温泉になってる。っていう。すごい!こんなの!みたいなのが印象に残ってる。
それはいいとして、それかもしくは、保育園の近くに川が流れてて、堤防みたいのがあったのだけれど、その堤防沿いに歩いていくと、大き目の橋がかかっていまして、その下にある、スウィートホームに住んでるらしき人影。に、憧憬を抱いていたのも事実、となれば、何、橋の下の人。
つづいて小学生になってもあいかわらずの感じで、いやでも、何かしらないけど、チラシの裏不足白い紙不足が深刻になるくらい絵を描いていて、いつの間にか、イラストレーターになりたいなあとか思っちゃっていて、それがだんだん進化して漫画家、から転じて小説家に。なぜか。
でも写実的な表現は得意でなかったので評価されることはなく、当然、上手にかけていないことくらい自分にもわかるので、逆に、たまになんか、ほめられても、嘘とかおべっかだと判断しタンスにしまっていました。その感じは現在も継続中である。めんどくさいやつです。
けど小学生くらいのときの絵って、どういう評価基準でうまいとか下手とかごみとかになっていたかというと、担任の先生のセンス次第ですよね。あきらかに写実主義ばりばりで、写真のような絵がかけていたらそりゃもう評価せざるをえないけど、子供だし、そんな技術はない。ともなれば、それを下手な絵ととらえ、その中でもましなものを評価していくことになるのですが、うーん。子供らしい絵みたいのが評価されるのが一般的なのかな。僕の記憶だと当時の担任は大体写実主義派だったような気がするけど。小学生の絵で金賞!とかいうと、何か茶色の肌で男の子が超でかい口をあけてスイカを食べようとしてて、端っこに小さく家族とか海の絵が描いてあったりするようなやつを連想するので、たぶん、あの多幸感あふれる嘘くさいキモい絵が一番いいのかな。
けどまあそれにしたって、やはり、担任の認識できるセンスの範囲内に収まらなければならない。ならないわけじゃないけど、そうしないと評価されないわけだから、ならない、でいいよもう。そういうわけで、僕が小学校の授業で描くような課題の絵は大体、そういう写実主義に順ずる印象派、多幸主義の劣化版、多幸絵の多幸をとったような、つまんない絵を、描かないといけないと思って描いていました。夏休みの思い出とかいう課題で、道路を歩いてる絵を描いた気がする。あさがおの観察日記並みに写実主義。別に笑顔とか面白い構図とかじゃなくて、ほとんど図に近い絵柄の上に、真顔。今思い返してみても、変な絵だった。描いてる時も、うんざりしすぎて泣きそうになってたような気がする。
で、まあ、だから、正当な場所で評価されることはまったくなく、メモ帳とかにかわいいキャラクターを描いてたまにみつかって何かいわれるくらいのもんでした。今見るとたぶん媚びすぎててかわいくなさそう。
けどいいのよ、セルフセラピーみたいなもので、自分の心境に必要なダメージを絵にする、みたいな感じだったので、あの線は正しい線。よって黒歴史とかいうものではない。たぶん。
黒歴史は不本意な線を描いた絵かね、誰も得しない。学校の先生にむりやり描かされた上級生への変なカードみたいな。誰だよっつー人宛の。あ、それ中学の時も似たようなのあったような。向こうも、誰だよこいつ的な感じでもうお互い気まずい。だめよ、そういうの。やめよう、ね。

まあだから、絵を描くことっていうのが全然いいことじゃなくて、むしろやってはいけない悪事、中学生のオナニーくらい恥ずかしいことである、という認識であったわけです。はい。
ああ、また変な検索ワードができてしまったような気がする。

で、当の中学生になって、田舎に引っ越して、何か田舎の中ではそれなりにエキセントリックな感じだったようなので、これは、ここなら大っぴらに出していってもいいんじゃないかと思い、進路調査で「絵を描く仕事」という抽象的な表現をしたら、担任からもう、大変、二者面談でのっけからもう、そんな不安定なものはダメで、もっとちゃんとした仕事にしろ、というご指導を頂き、また、その想いは封印され、以後、教師受けのいい「学校の先生になりたい☆」が続きます。
そんな酷い教育をしない、アウトサイディングスチューデンツの味方的な先生がいてもいいんじゃないかと思って、そういう意味では教鞭をとってみたいとは思っていた。いる。たしかに。しかし、真っ当な優秀な学生には何をどうしたらいいかわかんないので、最悪な先生になってしまいそうなので自重します。雑談で一時間潰してみたい・・・。ああ、いい。
はい。
それで結局気持ちを封印したまま、というか、いつの間にか忘れてしまい、高校生。
高校は最早何がしたいのかわからなくて、ゲームのスコア的な感覚で点数をとってました。勉強もそのため。もう何がなんだか。目標がないもんだから、学問への興味などまったくなく、暗記物は、そのものの意味すら考えることもなく、ただ暗記していて、まったく意味がない。けど、点数はそれでとれるのであった。謎教育。
だから、この時点での夢は何かと聞かれたら学校の先生なんだけど、実のところは、なし。というかいっそ殺してくれ的な。つまらなすぎて。ダンサーインザダークの歌みたいな心境。この頃からたぶん死んでもよくなってると思う。大学に入ってちょっとした頃に、運転の荒い先輩の車に乗っていた時に、同乗者に怖くない?みたいなことを言われて「いや、別に死んでもいいんで、怖くはないです」みたいなやさぐれたことを言っていたので、そのくらいまでは続いてる。小学生の時は死ぬのが怖くて生きることができない、まるで都はるみの歌のような勢いだったのにどこへやら。

そういうわけで、最終的に、「なし」ということで。むしろ「死亡」か。いや「消滅」で。
さよなら、さぶろうさん。

つまりそこから考えると、何か、前向きに存在してるし、いつでも絵を描ける環境にあるし、勢いあまれば旅人にも橋の下にもいけるし。なかなかいいんじゃないの、これ。っていう。ね。

映画から学ぶことは、ありのままを受け入れよう、それが一番かっこいい。っていう、こと、あたりですか、ね。
経歴とか道程とかサクセスストーリーとかじゃなくて、地球上における資材としての、今まさにこの瞬間の自分。っつーか。もうよくわかりませんが。そういう系。
yamyam...
damn...

・・・あれ。もしかしてフィービーじゃない?


ルネッサンス

山田さんは好き。確かにそれは認める。

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