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CUTISM
アメリカン3人が聖剣2をプレイする動画が、エンディングを向かえました。
メリケンさんの感性は日本人には新鮮で面白いですね。
ここ数ヶ月、西洋的思想を学ぼうという気構えで暮らしてました。
それは嘘ですが、スマリヤンなんとかさんのタオの本が届いてからというもの、なんだかんだで西洋思想がつきまとう生活でした。
興味深いのは相変わらずですが、極めることもできようもないので、まあ適当に。
適当に、なんていうと、たまにすれ違う。
すれ違う人とはどう違うのか、考えてみるとどうも、人に対するとらえ方が違うようで、大抵、僕の想定する人間より程度が低い。その人が、ではなく、その人の想定する人間が。
極端にすれば、僕は性善説を信じていて、すれ違う人は性悪説を信じている、という感じ。
ほっとけばその人なりに最善を尽くすだろうという考えのもと、僕は話すのだが、すれ違う人はどうも、ほっとくと悪いことをしてしまうらしい。
まあ、適当にしてください。
話は全然かわって、「かわいい」ということ。
美しいということと、似てるようで全然似ていない「かわいい」。
「かわいい」と言われたい女の子は多いけれど、男の子にはあまりいない。
というのは、「かわいい」という言葉を与えられるべきは、庇護されるべき弱者であるからであり、ジェンダーの観点から言って、当然、それは女性に与えられるべき称号であるからである。
と言う冗談はさておき、「かわいい」。
絵を描くと十中八九第一声はこれをもらうのだけれど、「美しい」とは異なるこの「かわいい」という評価。これは一体なんなのか。
「かわいい」ということの本質を見極める。
非常にまぬけな様を「かわいい」と評することもある。
いかにも先輩面で現れて「美味いワイン出す店しってるんだけど~」とかしたり顔で言っちゃったりするような「かわいい」人。
そんなに低くないのにやたら身長のことを気にする「かわいい」人。
まんまるおなかの元気な子。
これらの「かわいい」はまさに美とは逆にある。
かといって、「うつくしい」の反対に「かわいい」があるかといえば違う。
「美しい」の反対は「醜い」。
じゃあ「かわいい」の反対はなんだろうか。
言うなら、「かわいくない」この一択だと思う。
要は、粋か粋じゃないかということに近いのではないか。
「かわいい」というコードを背負って、僕らは生きて行く。
全然まとまってない。
「かわいい」の反対は「醜い」でもいいのだけれど、これは広義での「醜い」だと思う。
狭義の「醜い」であれば、実は「かわいい」と隣り合わせで、要するに、つけいる隙があるということ。なのかな。
キモかわいいという言葉もあるように、醜さ、及び気持ちわるさというものは、「かわいい」とはそうはなれていない。
と言うのも、僕の絵も実際かわいく描こうという気持ちは微塵もなく、できる限り気持ち悪さを表現したいと願っている。奇妙さ、というべきか。
それがどういうわけか、「かわいい」ものになってしまうのは、やはり、「かわいい」の本質がグロテスクさにあるからのような気がする。
シュールさかな?
美が理想であるなら、「かわいい」はもっと現実的だ。
しかしそれは「かわいい」というコードをまとった幻想で、その本質的な側面は非常に気持ちの悪いものである。
たいてー。
奴らは夜に来るの、たいてー。
まあだからどうだって話ですけど。
結局、その間の抜けた気持ち悪いものが、その人のフェティッシュに合致するかどうかで、「かわいい」か「かわいくないか」が決まるんだろうな、と思いました。
フェティッシュっていうのは、あらゆる意味・観点でね。
前向きに。
結論としては、やはり媚びるようなものより、あー、と思ったものを描いた方が良くなるよなあという再確認。
以上!
「以上」とか言って終わらす奴むかつく!
おわり

メリケンさんの感性は日本人には新鮮で面白いですね。
ここ数ヶ月、西洋的思想を学ぼうという気構えで暮らしてました。
それは嘘ですが、スマリヤンなんとかさんのタオの本が届いてからというもの、なんだかんだで西洋思想がつきまとう生活でした。
興味深いのは相変わらずですが、極めることもできようもないので、まあ適当に。
適当に、なんていうと、たまにすれ違う。
すれ違う人とはどう違うのか、考えてみるとどうも、人に対するとらえ方が違うようで、大抵、僕の想定する人間より程度が低い。その人が、ではなく、その人の想定する人間が。
極端にすれば、僕は性善説を信じていて、すれ違う人は性悪説を信じている、という感じ。
ほっとけばその人なりに最善を尽くすだろうという考えのもと、僕は話すのだが、すれ違う人はどうも、ほっとくと悪いことをしてしまうらしい。
まあ、適当にしてください。
話は全然かわって、「かわいい」ということ。
美しいということと、似てるようで全然似ていない「かわいい」。
「かわいい」と言われたい女の子は多いけれど、男の子にはあまりいない。
というのは、「かわいい」という言葉を与えられるべきは、庇護されるべき弱者であるからであり、ジェンダーの観点から言って、当然、それは女性に与えられるべき称号であるからである。
と言う冗談はさておき、「かわいい」。
絵を描くと十中八九第一声はこれをもらうのだけれど、「美しい」とは異なるこの「かわいい」という評価。これは一体なんなのか。
「かわいい」ということの本質を見極める。
非常にまぬけな様を「かわいい」と評することもある。
いかにも先輩面で現れて「美味いワイン出す店しってるんだけど~」とかしたり顔で言っちゃったりするような「かわいい」人。
そんなに低くないのにやたら身長のことを気にする「かわいい」人。
まんまるおなかの元気な子。
これらの「かわいい」はまさに美とは逆にある。
かといって、「うつくしい」の反対に「かわいい」があるかといえば違う。
「美しい」の反対は「醜い」。
じゃあ「かわいい」の反対はなんだろうか。
言うなら、「かわいくない」この一択だと思う。
要は、粋か粋じゃないかということに近いのではないか。
「かわいい」というコードを背負って、僕らは生きて行く。
全然まとまってない。
「かわいい」の反対は「醜い」でもいいのだけれど、これは広義での「醜い」だと思う。
狭義の「醜い」であれば、実は「かわいい」と隣り合わせで、要するに、つけいる隙があるということ。なのかな。
キモかわいいという言葉もあるように、醜さ、及び気持ちわるさというものは、「かわいい」とはそうはなれていない。
と言うのも、僕の絵も実際かわいく描こうという気持ちは微塵もなく、できる限り気持ち悪さを表現したいと願っている。奇妙さ、というべきか。
それがどういうわけか、「かわいい」ものになってしまうのは、やはり、「かわいい」の本質がグロテスクさにあるからのような気がする。
シュールさかな?
美が理想であるなら、「かわいい」はもっと現実的だ。
しかしそれは「かわいい」というコードをまとった幻想で、その本質的な側面は非常に気持ちの悪いものである。
たいてー。
奴らは夜に来るの、たいてー。
まあだからどうだって話ですけど。
結局、その間の抜けた気持ち悪いものが、その人のフェティッシュに合致するかどうかで、「かわいい」か「かわいくないか」が決まるんだろうな、と思いました。
フェティッシュっていうのは、あらゆる意味・観点でね。
前向きに。
結論としては、やはり媚びるようなものより、あー、と思ったものを描いた方が良くなるよなあという再確認。
以上!
「以上」とか言って終わらす奴むかつく!
おわり

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