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二週間

卒論発表から2週間たちましたが、どうも気合が入らず、慢性的に眠い。
論文から抜け落ちていた、シュールレアリズムの章も、まるで手付かず。
というのも、まぁ眠いからというのもあるけれど、結局シュールレアリズムと今日の芸術が、一体どう関係するのか、とか、当時においてシュールレアリズムとはどういう意味を果たしたのか、とか、そういうの、で、結論として僕らはどう生きてゆくべきなのかということ、などなどを、いざまとめようとした時に、3週間前までたぎらせていた熱い情念や意志が、もう、何だろう、ぽろっと、付き物が落ちたように抜け出てしまい、どうでもいいや、みたいな感じになってしまっているような気がする。
それと、何でもそうなのだけれど、僕は学んだことを学んだ通りに伝聞することができず、まーなんていうんですかね、感覚としては、聞いた事を話す時、一度自分の言葉になおして身に入れ、それをまた外界の言葉に直してアウトプットする、というような工程を経るため、もう卒制も卒論も終わり、今更誰も僕の暑苦しい芸術観など聞く必要もなくなった状態では、他人の要望を糧に生きている三郎くんとしましては、いくらインプットしても(インプットは自分のためになる知識なので可能)アウトプットするエネルギーはない、と。どんどんシュールレアリズムなりアウトサイダーアートなりタオイズムについての見識は蓄えられていくものの、外側にはでず、でもしっかり会得している、感じ。かな。多分。
「光あれ」でしたっけ、聞いた時ビックリマンだ!と思いつつ、それはもう当然のこととしてわかれているので、もう、何もいうこともない、という、感じ。
死にそうな人こそ生きているし、ヒスで暴れている人こそ傷ついている、流行に乗ったアートに傾倒しない人こそ芸術家たりえる、などなど。
そういうわけで、もういいのかな、っていう感じ。結局論文は完成しないままに終えてしまうことになるわけです。永遠の欠番。それでも一応なりたってるし、いいか。ということで、おしまい!
一応今は今まで作った作品をまとめてどうにか印刷しようとしているところ、だがしかし、意外と面倒くさい。イラスト、画像サイズ全部ばらばらだけど、合わせて1.5GBくらいみたいです。
まー、改めて見ると、成長したなーって気もしますが、今までずっと、最後まで、僕の作品というか生成物は、どれも可能性というか潜在性というか、そういうものばっかりなものだったんだなあと、思い知る。つまるところ、作品自体の価値といいますか、そのもの自体の力はなく、次に当然のように続くであろう何かを感じられる、ということです。
作品の連続から文脈が生まれ、そこからアートの価値が生まれると考えているので、それでもまぁ及第点ですかね。今後はちゃんと一つ一つに心を込めて、ちゃんと描けたらいいと思っています。
おわり。
上の絵は鍋の絵。
お友達のお家で鍋を頂いた時に、その鍋のおいしさを表現すべく描いた(描かされた)イラスト。
メインの生き物はいつでも僕のコピーなので、頭の鍋から小さいクラッカーならしてるのが僕です。
粛々とお洒落な感じでおいしかったです。
太陽のモチーフは神様みたいなもので、場の雰囲気がそーんなにまだ盛り上がってないよねーっていうところから来ていると思う。あの顔。
そして犬を飼っていたので犬。ちょーほえてた。
というようなことなんだろうと思います。
多分ね。
というのをわざわざ言うくらいなら、僕は絵なんか描くもんか!
黙って語れ!
1件のコメント
[C129]
- 2009-02-16
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次のことをより良くするために知るんだね。