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変/格好良い
このちょっと足らない感じの会話のやり取りがすごい良い。
不細工≒かわいいと同じようなもので、変とカッコイイも似たり寄ったり、大体一緒だと思う。
所でそう、なんと言いますか、子供の頃は好き勝手に夢を上げ連ねますが当然みんながみんなそれについて当時から真剣に考え取り組んでいるわけではなく、なんとなくメディアやら親やらなんやらを見て、憧れたりそこに光を見出して崇拝するにとどまることでしょう。
あ、なんかちょっとずれたので補正。
結局、どーよ。中学なり高校を卒業してしばらくたちますが、みなさん、当時の目標なり夢には到達しましたか。立派なサクセスストーリーを歩まれましたか。もはや過去形で。結果、でてます?的な。で、そーんなにかなった、十分である、という人は、まだ、もしくは永遠に、いないんじゃないかと思います。たぶん。
別に誰も悪いことしてないけど、なんとなく勝手に時間が流れて年をとって、流行の大卒で新卒で氷河期後の売り手市場買い手市場大不況大恐慌給付金ばら撒き地域振興券ぶっちふぉんライオンハートサムライハートと、勝手になんかやってる世の中と暮らしつつ、今まさに現在進行形、等身大の自分をこの、今!今!そう、今!ちがう、今だ!それ!あちょっとずれた、今!まーいいや、その一瞬。大体そのくらいでいいです。とにかく線じゃなくて点レベルで、の、あなたが、僕らが、いるわけです。はい。
どうも、いまいち。もう一歩!って感じなんじゃないかなと、思う。違う人はごめん。あなたを無視して話は進められていきます。
僕もそんな口で。なんか、いまいちです。もうちょっとこう、あれ、僕だったら、うまくやってるというか、楽しめるんじゃないの、こんな感じでも、という感じなんだけど、どうかな、そんなに、充足感はないというか、まあ、これでもいいですけどー、くらいの、不満顔。
けど、じゃあ、昔の夢ってなんだっけ、ってさかのぼって考えてみると、別になんか、当然の流れというかなんというか。ちなみに今時の子はなんかサッカー選手とかヴォーカリストとからしいです。詳しくはwebで。
保育園くらいの時は、たまに遊びに来る母親の友達、何をしてるかわからない人たちが大人の見本で、なるほど僕もこうなっていくのか、と疑う余地もなく信じていて、言うなれば、よくみんなで一緒にどこかに旅行に行っていたので、旅人。
どこの施設かわからないけど、洞窟温泉みたいのに連れてってもらった時の感動は今でも覚えてる。たぶん今見るとしょぼーってなるのかもしれないけど、記憶のなかでは、まんま洞窟なんだけど、温泉になってる。っていう。すごい!こんなの!みたいなのが印象に残ってる。
それはいいとして、それかもしくは、保育園の近くに川が流れてて、堤防みたいのがあったのだけれど、その堤防沿いに歩いていくと、大き目の橋がかかっていまして、その下にある、スウィートホームに住んでるらしき人影。に、憧憬を抱いていたのも事実、となれば、何、橋の下の人。
つづいて小学生になってもあいかわらずの感じで、いやでも、何かしらないけど、チラシの裏不足白い紙不足が深刻になるくらい絵を描いていて、いつの間にか、イラストレーターになりたいなあとか思っちゃっていて、それがだんだん進化して漫画家、から転じて小説家に。なぜか。
でも写実的な表現は得意でなかったので評価されることはなく、当然、上手にかけていないことくらい自分にもわかるので、逆に、たまになんか、ほめられても、嘘とかおべっかだと判断しタンスにしまっていました。その感じは現在も継続中である。めんどくさいやつです。
けど小学生くらいのときの絵って、どういう評価基準でうまいとか下手とかごみとかになっていたかというと、担任の先生のセンス次第ですよね。あきらかに写実主義ばりばりで、写真のような絵がかけていたらそりゃもう評価せざるをえないけど、子供だし、そんな技術はない。ともなれば、それを下手な絵ととらえ、その中でもましなものを評価していくことになるのですが、うーん。子供らしい絵みたいのが評価されるのが一般的なのかな。僕の記憶だと当時の担任は大体写実主義派だったような気がするけど。小学生の絵で金賞!とかいうと、何か茶色の肌で男の子が超でかい口をあけてスイカを食べようとしてて、端っこに小さく家族とか海の絵が描いてあったりするようなやつを連想するので、たぶん、あの多幸感あふれる嘘くさいキモい絵が一番いいのかな。
けどまあそれにしたって、やはり、担任の認識できるセンスの範囲内に収まらなければならない。ならないわけじゃないけど、そうしないと評価されないわけだから、ならない、でいいよもう。そういうわけで、僕が小学校の授業で描くような課題の絵は大体、そういう写実主義に順ずる印象派、多幸主義の劣化版、多幸絵の多幸をとったような、つまんない絵を、描かないといけないと思って描いていました。夏休みの思い出とかいう課題で、道路を歩いてる絵を描いた気がする。あさがおの観察日記並みに写実主義。別に笑顔とか面白い構図とかじゃなくて、ほとんど図に近い絵柄の上に、真顔。今思い返してみても、変な絵だった。描いてる時も、うんざりしすぎて泣きそうになってたような気がする。
で、まあ、だから、正当な場所で評価されることはまったくなく、メモ帳とかにかわいいキャラクターを描いてたまにみつかって何かいわれるくらいのもんでした。今見るとたぶん媚びすぎててかわいくなさそう。
けどいいのよ、セルフセラピーみたいなもので、自分の心境に必要なダメージを絵にする、みたいな感じだったので、あの線は正しい線。よって黒歴史とかいうものではない。たぶん。
黒歴史は不本意な線を描いた絵かね、誰も得しない。学校の先生にむりやり描かされた上級生への変なカードみたいな。誰だよっつー人宛の。あ、それ中学の時も似たようなのあったような。向こうも、誰だよこいつ的な感じでもうお互い気まずい。だめよ、そういうの。やめよう、ね。
まあだから、絵を描くことっていうのが全然いいことじゃなくて、むしろやってはいけない悪事、中学生のオナニーくらい恥ずかしいことである、という認識であったわけです。はい。
ああ、また変な検索ワードができてしまったような気がする。
で、当の中学生になって、田舎に引っ越して、何か田舎の中ではそれなりにエキセントリックな感じだったようなので、これは、ここなら大っぴらに出していってもいいんじゃないかと思い、進路調査で「絵を描く仕事」という抽象的な表現をしたら、担任からもう、大変、二者面談でのっけからもう、そんな不安定なものはダメで、もっとちゃんとした仕事にしろ、というご指導を頂き、また、その想いは封印され、以後、教師受けのいい「学校の先生になりたい☆」が続きます。
そんな酷い教育をしない、アウトサイディングスチューデンツの味方的な先生がいてもいいんじゃないかと思って、そういう意味では教鞭をとってみたいとは思っていた。いる。たしかに。しかし、真っ当な優秀な学生には何をどうしたらいいかわかんないので、最悪な先生になってしまいそうなので自重します。雑談で一時間潰してみたい・・・。ああ、いい。
はい。
それで結局気持ちを封印したまま、というか、いつの間にか忘れてしまい、高校生。
高校は最早何がしたいのかわからなくて、ゲームのスコア的な感覚で点数をとってました。勉強もそのため。もう何がなんだか。目標がないもんだから、学問への興味などまったくなく、暗記物は、そのものの意味すら考えることもなく、ただ暗記していて、まったく意味がない。けど、点数はそれでとれるのであった。謎教育。
だから、この時点での夢は何かと聞かれたら学校の先生なんだけど、実のところは、なし。というかいっそ殺してくれ的な。つまらなすぎて。ダンサーインザダークの歌みたいな心境。この頃からたぶん死んでもよくなってると思う。大学に入ってちょっとした頃に、運転の荒い先輩の車に乗っていた時に、同乗者に怖くない?みたいなことを言われて「いや、別に死んでもいいんで、怖くはないです」みたいなやさぐれたことを言っていたので、そのくらいまでは続いてる。小学生の時は死ぬのが怖くて生きることができない、まるで都はるみの歌のような勢いだったのにどこへやら。
そういうわけで、最終的に、「なし」ということで。むしろ「死亡」か。いや「消滅」で。
さよなら、さぶろうさん。
つまりそこから考えると、何か、前向きに存在してるし、いつでも絵を描ける環境にあるし、勢いあまれば旅人にも橋の下にもいけるし。なかなかいいんじゃないの、これ。っていう。ね。
映画から学ぶことは、ありのままを受け入れよう、それが一番かっこいい。っていう、こと、あたりですか、ね。
経歴とか道程とかサクセスストーリーとかじゃなくて、地球上における資材としての、今まさにこの瞬間の自分。っつーか。もうよくわかりませんが。そういう系。
yamyam...
damn...
・・・あれ。もしかしてフィービーじゃない?
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